2016年12月6日火曜日

Faster,Higher,Stronger



今までサッカーをしてきた中で、数え切れないほどの選手と対戦してきた。もちろん、その選手たちはそれぞれ個々の特徴を持っている。しかし、僕が一番対戦して嫌だと思った選手タイプが一つある。それはフィジカルが強い、いわゆるフィジモンだ。ア式で言う北西ですね。走るし、速いし、強いし、シュート強すぎだし.... 誰もが一度は北西が同じチームにいてよかったと思ったことがあるだろう。



やっぱりフィジカルが強いと有利、体力があると有利。それは日々感じているが、一ヶ月前の大東文化大学との練習試合が特に印象に残っている。こっちとしては、とても苦しい試合だった。相手選手は皆ガタイがよく、こっちは迫合い、球際などで全然勝てなかった。相手は体を張ればボールをキープできるが、こっちは押されながなんとかキープしようとする。もちろん、技術面での差もあったが、それ以前に向こうは大きなアドバンテージを持っていた。



言っておくと、僕は細くて、体力もなくて、フィジカル面ではかなりレベルが低い。「ガリガリだね」ってよく言われるほど。だから僕はフィジモンを苦手としてきたのだろう。アスリートとして戦えてなかったと思う。



結局、サッカー選手もアスリートで、ラグビーの選手ほどではないですが、フィジカルがかなり大事である。今回は自分が感じたことを書いたが、チームの他の人も同じことを感じたことがあるはずだ。そして、これは僕個人の課題であるが、チーム全体にも当てはまると思っている。チームの全員が一段階フィジカルを強化することができれば、もっと強いチームになれるにちがいない。逆に最低基準に満たなければ、戦えないだろう。言うのは簡単だが、実践するには相当なメンタルの強さが必要となる。でも僕は最後の1年間勝って終わりたい。



当たり前ですが、技術も大事です。



でも、僕はまず体力をつけます、強くなります。







オールブラックスの選手がどうしたらあんなにデカくなるのかが不思議です。




3年 柳澤 アーサー

2016年12月3日土曜日

微熱少年


洋画に憧れて英語を始めたり、友達に誘われて部活に入ったり、きっかけは些細なことで、

僕がカメラを始めたのも、家中に父の撮った写真が飾ってあるからだ。



写真を始めてから1年半、本当にいろんな人の、いろんな瞬間に立ち会った。

名も知らないサークルの新歓パンフレット、成人式の親子、卒業を迎える大学生といった節目だけでなく、

旅行先の定食屋のおばちゃんや、葉っぱ、ど田舎の駅など1万回以上シャッターを押した気がする。



撮るときに考えるのは、「主題」と「色」。

ボールとか、人とか、分かりやすいテーマのときもあれば、ノスタルジックなど曖昧なことも多い。

ただ、どういう感想を持たれても気にしないが、テーマだけは決めようと思う。

色は常に「記憶色」を意識する。

つまり実際の風景に「思い出補正」を足した色を最初から表現するように、イメージは「君の名は。」の色合いだ。





始めたころは、写真の教科書だけみて、そこに書かれた設定も構図も色も全部真似して基本に忠実にやってたが、

最近は写真集や映画や漫画などから構図と色を、また音楽や本からはイメージをもらい撮る。



最近はミラーレスなど、重いのと性能は同じで軽く小さいものもあるので、男女関わらず手を出しやすいと思う。

なにより、写真は見えてる風景を「切り取る」ものなので、絵のように得意不得意もないし、スポーツのように勝ち負けもないので、

自分のペースで、のんびりやれて、かつ一生楽しめるのが魅力なのだ。









初めてタイタニックみてボロ泣きした


2年 増田 伶

2016年12月1日木曜日

誕生日

もうすぐ僕の誕生日である。僕の学生証を見た友人に「あれ、お前もうすぐ誕生日じゃね?」と言われるまで、一年で一回の特別な日が近づいていることに全く気づかなかった。思えば去年なんか受験勉強で気が気でなく、「あれっ今日誕生日か!」って感じだった。小学生の頃は、後半年…後3ヶ月1ヶ月1週間という感じで誕生日を待ち望んでいたのに、あの頃の感情はどこへ行ってしまったのだろう。




昔は欲しいものがあってもなかなか手に入れることはできなかった。自分が欲しいものを持っている友達がいるとなおさら物欲が高まる。その中でやってくる誕生日は、一年のうち他のいかなる日に比べても圧倒的に素晴らしい日である。それが今では欲しいものがいつでも手に入るわけではなくとも、誕生日まで半年以上我慢するなんてことなく手に入れることができる。欲しいものが手に入る機会が増えるにつれ、その一回一回に対する喜びありがたみは減っていってしまう。





それは別に誕生日に限ったことではない。子供の頃は映画なんて年に2,3回のビッグイベントだったが、今では行こうとすればいつでも行ける。外食は月に1回ほどのお楽しみだったが、今では部活後に頻繁に外食している。しかしそう頻繁にできるがために、その11回に対する喜びありがたみは減っていってしまう。





逆に、「死んでから分かる親のありがたみ」という言葉があるように、機会が減って、もしくはなくなって初めてかつての環境がいかに恵まれていたか認識することがよくある。





僕は高校時代、初めの頃は学校の土グラウンドで当たり前のようにサッカーをしていた。しかし、高校の体育館建設の都合上、グラウンドのほんの一部でしかサッカーができなくなってしまった。そのとき初めて、学校のグラウンドを使わせてもらって練習ができていたんだというありがたみを知った。学校のグラウンドが使えなくなったとき、東大ア式蹴球部が手を貸してくれた。週11時間半グラウンドの半面を貸してくれたのである。僕はそのとき御殿下の芝グラウンドで練習できることが非常に嬉しく、1時間半を最大限に利用することができた。





今現在、ア式に入って毎日グラウンドを使える環境にいる。当たり前のように練習しているが、別にこれは当たり前のことではないのだ。ア式が今こう動いている裏には、保護者の方々、OBの方々、監督、コーチの方々、他にも大勢の支えがある。身の回りのありがたみのそれぞれ全て認識することは難しいが、自分が様々な沢山のありがたみを享受していることは間違いない。





後悔先に立たず。今、自分が享受しているありがたみ、決して無駄にしたくない。








1年 島田





P.S. 僕の誕生日は





*・゜゜・*:....:*1213*:.. ..:*・゜゜・*





です。



2016年11月29日火曜日

曲がらない膝はない


私の最近の悩みは怪我した膝が曲がらないことです。今まで膝を怪我した人が曲がらないと言ってるのを怪しいと思ってたのですが、実際曲がらないです。


失って初めて大切さに気付くではないですけど、膝って本当に大切なんだと日々感じてます。膝は日常生活に欠かせないものです。膝が曲がらないと普通に歩けません。階段は飛び跳ねながら降りないといけないのでとても恥ずかしいです。電車に乗って座ると膝が曲がらないから伸ばしてるのに外見では怪我してることが分からないのでただ態度の悪いやつだと思われます。優先席に座ってると若者がなに座ってんだと睨まれるので、優先席に座るまで足を引きずって歩きます。そして、次第に普通の歩き方を忘れます。呼吸を意識すると胸が苦しくなるように歩き方を考えれば考えるほどぎこちなくなります。この様に日常生活に支障が出ます。

まとめると怪我なく健康に過ごすことが一番いいということです。正直健康な時は気付きづらいとは思いますが、当たり前じゃないので日々健康に感謝して過ごしましょう。怪我に気をつけて今年もあと1ヶ月頑張りましょう!







最近の一番の悩みは肥えてきたことです
三年山岐豪憲

2016年11月23日水曜日

悩み事


僕の名前は小寺柊斗(こでらしゅうと)。今日は自分の名前にまつわる悩みを書こうと思う。僕は6月中旬からバイトを始めた。先輩たちは優しく、時間外労働も皆無、いわゆるホワイトバイトだ。

だがバイトにやっと慣れ始めた8月下旬あの出来事が起こった。はじめは聞き間違いだと思った。だがその後1カ月ほどよく耳を澄まして聞いてみたが間違いない。ある先輩が僕のことを小寺(おでら)君と呼んでいるではないか。しかもよりによって圧倒的なコミュ力と元気によってバイト内で多大な影響力を振るう人に毎回間違われてしまうのだから事態は深刻だ。誰よりも大きな声でおでらくんと呼び続ける。その声を前にしては他の人のこでらくんという正しい声も虫けらのように掻き消されるだけでなく、その人たちの脳裏にも段々とおでらが侵食し、僕がおでらということがバイト内で既成事実化してしまいそうな勢いである



なら早くその先輩に本当の名前を伝えればいいと思うだろう。まさにその通りである。だがそれはかなり難しいのだ。大縄跳びでなかなか中に入れない人を想像してほしい。端から見ればどのタイミングでも中には入れる。当人もそんなことは承知している。だが最初のタイミングを逸したがために以降全てが自分のタイミングでなくなる。ただ時だけが虚しく過ぎていく。まあそんな感じだ。
なら最初のタイミングで間違いを指摘すれば良かったのではと思うだろう。だがそれはできない。なぜなら8月末まで先輩は間違えることなくこでらくんと呼んでいたからだ。だがそこからAha!体験のごとくゆっくりとおでらくんとなっていったが為に間違いに確信したときにはとっくの昔に縄跳びは回り始めてしまっていたのだ。



時がたつにつれ縄跳びはゆっくりになるどころかますます速くなっていく。どんどん指摘しにくくなる。指摘しないとおでらがはびこる。おでらと呼ばれる度にその名がメリーゴーランドのように頭の中をぐるぐる回る。あれっ、俺の名前ってこでらだっけ、おでらだっけ、と迷う日はもう近い、何てことあるわけないけどそろそろなんとかするか。
よし、今日こそ勇気を出して縄跳び跳んでやろうじゃないか。



PS.今日のバイトももちろんおでらくんとして1日を終えました。まあ人生なんてそんなもんだよね明日も1日頑張ろ

2016年11月22日火曜日

第二章


前書き



 約1か月前、リーグ戦最終節帝京戦をもって4年間に及ぶア式での選手生活を終えた。その少し前にリレーブログfeelingsが復活して、せっかくなら引退後落ち着いて書こうと考えていたわけだが書くことがない…feelingsを直訳すれば、「感情」とか「気持ち」とかになるわけだが、どうしても「感情」や「気持ち」を書き起こすことが出来ない。4年間ア式に所属して様々な経験をし、同時に様々な感情を抱き、それらが今の自分にとってあまりにも大きすぎて、複雑すぎて書くことができない、ということであると思われる。あるいは文章力不足か…



 今回は自分が書く最後のfeelingsになるわけで、最後くらいfeelingsの名に相応しいものを書きたいと思っていたが、先に述べたような状態である。では何を書こうか…思案の末出た結果、後輩達にメッセージを伝えよう、というありきたりなものになってしまったが、自分としては誰か一人でも伝わってくれればそれで満足である。後輩たちのこれから先のア式生活が少しでも実りのあるものでありますように。







本文



 大学サッカーでは卒業・入学に伴って毎年選手・部員の入れ替わりがあり、ア式では毎年約20人が入れ替わる。したがって、4年間で現役部員とだけで140回もの出会いを経験することになる。途中でやめる人や、3学年離れた人のように、共に過ごす時間の短い人たちを除いても、その数は100回になる。



 彼らとは出会うだけではない。同じ時間を、空間を共有し、大学時代における自己資源―時間、エネルギー、情熱、知恵、経験、技術―を捧げて目標達成を目指す。先に別れを告げた彼も、今横にいる彼も、次に出会う彼も、おしなべてそれをする。だからこそ目標に近づくことができると、目標を達成できると信じて、安心してさらに自己資源を捧げることができる。



 100回もの出会いがあれば、当然その良し悪しがある。



本当に良い出会いはかけがえのないものである。なにものにも替え難いものとしていまなお輝きを失わない。彼らの存在そのものが、あるいは彼らと過ごした日々がいつでも自分の心の支えであり、行動の指針であり、目標あるいは憧れであった。ア式とは、単に組織の呼称であるというだけでなく、大きな目標に本気で立ち向かう強い人間を集める場でもある。だから、ア式にいればこうしたかけがえのない出会いを必ず経験するはずである。



 誰よりもうまく、誰よりも泥臭かった人

 強い意志と向上心を持っていた人

 想像力があり、常に誠実であった人

 自分の仕事に誇りと拘りを持って取り組んでいた人

 目先の人間関係を顧みず勝利に向けて発信できる人

 人の助言に素直に耳を傾ける人



 私にとってかけがえのない出会いは当然これが全てではない。しかし、残念なことにこれが100行に達することは決してない。自分に限った話ではないし、全員そうなのではないだろうか。





 横にいる部員との出会いを大切にしよう、そんなことが言いたいのではない。一つの出会いがその人にとって大切かどうかなんて初めからわかるものではない。



 お前がア式で過ごす時間は、断じてお前一人の時間ではない。上でも述べたが、お前が目標に向かって自己資源を投資するという信頼があるから、別のお前もそれができるのである。グラウンドでの振舞い、部室での何気ない発言、試合後の合コン、日々の生活習慣、オフ…大げさかもしれないが、ア式に所属した以上その全てがお前だけの時間、空間ではなくなる。合コンに行くな、酒を飲むな、オフ中に遊ぶな、ということではない。リフレッシュも大切なことである。ただ、一緒にいる時間、空間、そうでない時間、空間、どちらも決してお前だけのものではないということを自覚して行動しろ、ということである。この意識があれば、おのずとお前の行動は決まるはずである。その行動の積み重ねが、お前を別のお前にとってかけがえのない存在へと押し上げる。



 大切な出会いとは、ア式においての大切な出会いとは、こういうものでないだろうか。



 ア式部員一人一人に、数多のかけがえのない出会いがありますように。







あとがき



 今年のリーグ戦は悲惨な結果であった。

後期第5節大東戦での敗戦をもって事実上降格が決まった。心が折れかけたが、試合後沢登と話をして「バカになろう」と決めた。普通に考えれば残留はありえないが、そんなことを考えずにただひたすらサッカーに集中した。

しかし、次節の亜細亜戦で引き分けたことにより降格が決まった(数字の上では可能性はあったが、残り3試合で勝ち点だけでなく、20近い得失点差もひっくり返す必要があった)。今度は完全に心が折れた。闘う意味を失った。



 闘う意味を求めて何人かの人と話をした。彼らからもらった言葉は自分にとって本当に大きかった。ア式に所属する者として、その行動全てが決して自分だけのものではない、ということを痛感した瞬間であった。ここでは具体的な言葉は書かないが、色んな部員の思いを聞いてみると良いと思う。



 本文では色々と書いたが、自分が書いたことに本当に気付いたのは引退間近の話である。もっと早く気付けていたら違う世界が見えていた気もするが、最後に気付けただけ良しとしよう。



少しばかりの後悔と後輩達への激励、そして彼らへの多大なる感謝の念を込めて長々と書かせて頂いた。





第三章では必ず成功する

4年 OB 北山 淳

2016年11月19日土曜日

イスタンブールの奇跡



今でも鮮明に覚えている。


2005年5月25日、当時9歳だった僕は今にも閉じそうな目を擦りながらテレビをつけた。欧州CLの決勝、ACミラン対リバプールだ。前半を終え、3-0でミランのリード。誰もがミランの勝利を確信していた。そんな中、ハーフタイムにスタジアムがリバプールサポーターの大合唱で包まれていた。「お前らは1人じゃない」と唄い続けていた。僕には異様な光景に写った。前半でこんだけ力の差が出てしまえば結果は見え透いていると思っていたからだ。
しかし、リバプールの選手たちは誰1人として諦めていなかった。サポーターの声援を背に後半から猛攻を開始する。そして、ジェラードのヘディングシュートを皮切りにわずか6分間で3点を決め、あっという間に試合を振り出しに戻したのだ。結局、リバプールはPK戦を制し、ヨーロッパチャンピオンとなったのだった。世に言う「イスタンブールの奇跡」である。

圧巻だった。あまりにも。興奮は止まなかった。奇跡が起こった瞬間を目の当たりにしたのだ。早朝のことだったが、眠気などどこかへ吹き飛んだ。と同時に、試合途中で結果を決めつけた自らの浅薄さを恥じた。






サッカーは本当に面白い。いや、サッカーに限らずスポーツ全体に言える話だ。勝負に勝つために日々鍛錬し、試合という戦場で双方の本気がぶつかり合う。お互い本気だからこそ、そこには数々のドラマが生まれる。そんな中で思惑通りに相手を崩しゴールを決め、勝利を得る快感は他では決して味わえないものである。

こんな経験がしたかった。イスタンブールの奇跡のような試合がしてみたかった。大逆転劇を演じたいわけではない。そういうこれ以上ない絶頂の空気の中でサッカーをしてみたかった



高1の選手権の都大会で1度だけ、似たような空気を味わうことができた。ピッチ上の22人が各々の最高のパフォーマンスをして、最早ゾーンに入った状態でサッカーをしていた。1つのパスが、1つのドリブルが、全て洗練されているものに感じるくらいに。僕の高校よりも明らかに格上の相手だったが、互角以上に戦えていた。結果負けてしまったので苦い思い出ではあるが、あのときピッチで味わった空気感と言うのは病みつきになるものだった。


何故そこまでの試合ができたのか。それは試合までの準備期間、つまり練習がこれ以上ない状態でやれていたからだ。全員がお互いに厳しく、かつ良いプレーが出たときは盛り上げる声も出た。精神論に傾倒することなく、技術的なところの拘りも欠かしていなかった。本番で最高の、いや、最高以上の状態でサッカーする為にはそれだけ練習を追い込むことが欠かせないのだと思う。




では、今の自分はどれだけできているだろう。チームはどれだけできているだろう。うまくいかないときに足を止めて他人のせいにしていないだろうかがむしゃらにやることを無思慮に肯定して考えることをやめていないだろうか。自分ができないからといって、他人に要求することを避けてはいないだろうか。球際の強さを追い求めるあまり技術への向上心が薄れてはいないだろうか。

全てを満足いくほど拘れてこそ、個人は成長し、チームは強くなり、今まで勝てなかった相手に勝てるようになる。



きっと何もかも足りていないのだろう。試合後にOBコーチに必ずといっていいほど言われているが、多分今の一人一人の中の常識を覆すくらい追い込まないと結果は出ないのだろう。そして、今の勝てていない状況で公式戦のピッチに立てていない選手は、絶望的に足りていないのだろう。言葉では分かっていても心の底からそれに気付くのは簡単なことではない。

新人戦1週間前に怪我をして、やっと巡ってきたチャンスを棒にふる可能性のある状況になった。自分以外の同期全員がこの時期にサックスのユニホームを着てピッチに立つ。正直悔しすぎて落ち着かないくらいであるが、これも今まで自分が本当に追い込んで練習できていないからだというお叱りなんだろうなと思った。甘さが怪我という結果をもたらしたのだろう。気付いてからでは後の祭りであるが、逆に怪我したからこそ自省できたこともある。今まで先輩に言われてきたことでようやく本当の意味を理解できたこともある。これをきっかけにしたい。


そして来年こそはリーグ戦に出場して絶頂の空気の中でサッカーをしたい。必ず。


いや、まだ新人戦諦めてません!
2年 藤山晃太郎