2017年2月17日金曜日

大変


僕は今お世話になった塾でバイトしている。主に生徒の質問に答え、講師の手伝いや電話対応などもする。生徒はほとんどが高校生で、質問はsincosってなに?から東大の過去問まで幅広い。しかし、最近は高3から質問ではなく悩みを相談されることも多い。







ある日いつも通り質問対応していたらある高3女子が悩みを打ち明けてきた。その女子とは普段から笑い話をするような仲なのだが、その時は違った。深刻そうな顔をし、目は潤んでいて、いつもの笑顔はなかった。そしてこう言った。







「過去問で全然点数が取れないし...もう受かる気しない...いろんなこと我慢してきたのに...もうどうしたらいいかわからないよ......

そして僕の前で大号泣した...







この悩みはおそらくほとんどの受験生が抱くものであり、もちろん僕も同じように悩んだ時期がある。そんな時に僕は大切にしていた言葉がある。それは










「大変」










誰もが口にしたことのあるこの言葉。何か自分にとって辛いことをする時に使われる言葉。しかし、この言葉は「大きく変わる」と書く。自分が「大変」なことをしているとき、自分は「大きく変わる」、つまり成長する、ということを意味する。僕は受験直前の辛い時期に「今大変なんだからこれを乗り越えれば今より絶対に一歩成長できる」と思うことによって受験勉強を耐え忍んできた。













ア式においても「大変」と思うことはたくさんある。おそらく多くの人が今「大変」だと感じているのはラントレであろう。







ラントレは体力をつけるのには効果的だが、1番辛いし1番つまらないし疲労は溜まるわ、もう誰もが避けて通りたい練習である。早く走りたいのに走れないあの感覚を思い出すと誰もが憂鬱になるだろう。







では何をモチベにラントレをすれば良いのか。それは今よりもはるかに体力のある自分を想像するしかない。「こんなに大変なラントレを週2でやれば必ず体力はつく、そして90分走り続けられる選手に必ずなれる。」そう思うしかない。







だからといって、ただラントレをこなせばいい、というわけではない。ラントレ中その辛さに負けて手を抜いてしまう人は少なくないだろう。手を抜けばその分「大変」ではなくなる、つまり手を抜けばラントレ後も前と変わらない弱い自分のまま、体力はさほど変わらないだろう。










リーグ戦まであと数ヶ月。まだたくさんの「大変」な場面に直面するだろう。その時にいかに逃げずに自分に厳しくなれるか、そこの意識の差が勝敗を分ける気がする。




リーグ戦で活躍する「大きく変わった」自分を目指し、「大変」なことを頑張ってこなしていこう。




1    

2017年2月14日火曜日

嬉しい


自分がスカウティングした試合で勝つと嬉しい。自分のしたスカウティングが勝利を助けたように思えるからだ。実際どれくらい助けているのかは分からないが、自分が伝えたような攻め方を相手がしてきたような時は伝えたことで対応が少し良くなったかもしれない。そんな風に少しは助けたと思っている。自分のスカウティングの良し悪しはチームの結果だけでは測れないし、負ければ意味が無い訳でも勝てば意味がある訳でもない。ただ、最も嬉しいのはチームが勝利した時だ。

 自分がスカウティングしていない試合とスカウティングした試合では全く見る気持ちが違う。スカウティングしていない試合を見るときはただ応援している。共に活動している選手やスタッフに勝ってほしいという気持ちだ。勝つと嬉しいが同時に自分は何もしていないとも思う。スカウティングした試合を見る時は力も入るし緊張する。試合中に出来ることはほとんどないからただ試合を応援して見るしかなく、例えるなら試験を受けて結果の発表を見る時のようだ。それ以上に息をのんで見ている。選手を応援する気持ちに加えて、自分のしたスカウティングに意味があったと思いたい、喜びたい、だから勝ってくれという気持ちが強かったのを覚えている。とにかく勝つと嬉しい。その分負けると悔しい。自分が伝えていないような攻められ方で相手にやられた時自分がそれを伝えられていれば防げたのではないかなど、どういうスカウティングをしていれば負けなかったかを考えて次のスカウティングにつなげていた。

 自分がリーグ戦の勝敗に関われて喜びも悔しさも感じられたのは、ピッチで戦う選手達がいるからです。また、中間さんはじめテクニカルスタッフの皆やOBコーチの助けでスカウティングが出来ました。だから、家族、全ての部員、関係者の方々に感謝しています。ありがとうございました。




サッカーは楽しい
3年 鈴木拓実

2017年2月10日金曜日

カフカ


フランツ・カフカと言えば、ドイツの作家で、中編小説「変身」の作者である。

大雑把に紹介すると、ある日おぞましい虫へと変身してしまった男が、強い絆で結ばれていたはずの家族に敬遠され、「忘れられていく」という話。結末は奇妙で、多くの解釈を生んでいるらしい。



この中に登場するウンゲツィーファー(害のある小動物)については何年か前に誰かのfeelingsで触れられていたように思う。遡って読みたいがいつの投稿か全くわからない。これを書き上げたら少し探してみる。



「変身」、興味のある人は春休みにぜひ一読していただきたい。





前置きはこのくらいにして、



僕が今日書きたかったのは「変身」ではなく。

東京大学の『カフカ』の話。そしてア式蹴球部の、僕の『カフカ』。





読者のほとんどは知っているだろうが、東京大学の単位評価は上から順に、「優」、「良」、「可」、「不可」となっている。50点以下が「不可」となり、単位は来ない。

それぞれの評価にコメントを付けるとすれば、(科目によってばらつきはあるものの)大体以下のような評価内容の仕訳になるのではなかろうか。



不可: 授業に出ていない、勉強していない、「やるべきことをやっていない」

可 : 授業に出ていればとれる。最低限の行い。「当然この程度ならとれるだろう」

良 : やるべきことをやったうえで努力した。「成果としては上出来であろう」

優 : 素晴らしい。plus@を生み出した。「高い目標を掲げ、実現できた」



異論は受け付けるが、僕はこの程度の解釈だ。



学期末、成績表にこの評価が並ぶが、成績のあまりよくない者は「可」と「不可」ばかり。

この状態を『カフカ』というらしい(入学時に何かで見ただけで、僕自身は一度も使ったことはないので、今誰がそういう呼び方をしているのかもわからない)。





翻ってア式蹴球部。今、自己評価はどのくらいだろうか。



やるべきことをできているだろうか。

努力できているだろうか。

高い目標を掲げ、成果を生み出せているだろうか。

『カフカ』に、落ち着いていないだろうか。



(他己評価はそもそもされているかすらわからない。)





優をとることはとても難しい。「仕事をしよう」「練習をしよう」では良にも届かない。毎日スケジュールを埋めても、誰かに相談しても、一人で悩んでも、結果が出なければ、それはカフカだから。





でもコツはあると思っている。カフカのループから抜け出すコツ。



圧倒的な結果へのコミットと、「考え貫く(ぬく)」こと。



東大生は賢いというけど、少なくともうちの部員は、考え貫けていない部分が多すぎると感じる(もちろん自分を中心として)。

過程の精度は正直二の次でいい。そこにこだわりすぎて、結果から実行までの梯子がしっかり架かっていないものが、LINEグループと部室二階に大量に転がっている。きっとそれらは同時に、「東大サッカー部」の強みにできるものでもある。



僕自身去年、沢山捨ててきた。今年は一から、架けて回れたら素晴らしいと思う。





今現状、圧倒的カフカ。ここからどうすれば、ループから抜け出して、優良な人・クラブになれるか。

目指す大きな優に向けて、地道な優を積み重ねるしかない。







カフカは卒部式で「忘れられていく」だろう。

ここにいる意味は、自分で創りあげればいい。





フランツ・カフカは、その作品からは想像もつかないような誠実で温厚な人柄だったそうだ。それほどの情熱を、内に秘めた集団に。わが部活を。





学校の成績は圧倒的フカフカ。

三年 俣野泰佑

2017年2月9日木曜日

最後の何でも屋


冬オフのとある日のこと。

九州旅行中の同期選手4名がひょんなことから熊本の実家の私の母と対面する機会があった。

母に後で聞くと、会話の中で

同期「本人はア式のこと何と言っていますか?」

母「もう、命懸けて頑張ってますよー」

同期「僕たちも感謝しています」

という旨のやりとりがあったそうだ。



この会話を聞いて私は

同期の感謝の気持ちを言葉に現れた形で聞けたことと、母が、私がア式に「懸けていること」を理解し認めてくれていることを言葉に現れた形で聞けたこと。この2つの点から嬉しく思った。





現在、このア式蹴球部(男子部)において、純粋な「女子マネージャー」は私一人である。(女子トレーナー、女子テクニカルスタッフはいるものの)



この現状から、どうしてこんなに少なくなってしまったのか、女子が居づらい部活なのだろうか、と考え込んでしまうこともある。下級生の時は同期ももっといた。後輩もいた。一人、また一人と辞めて行ってしまった。自分の代が最高学年となり、先輩はもう引退されていってしまった。

ついに、女子のマネージャーは私一人となってしまった。



この部活は、東大生ならば普通勉強その他自己投資に費やすような時間も犠牲にしてサッカーに打ち込むところ。

そして、サッカーをするサークルなど他の団体も大学内に多数存在する中、唯一大学の名を背負って戦っている。

それ故、「部にいる意味は?」「部に貢献しているか?」「ここに所属するにふさわしい人間か?」を部員は幾度となく問われる。



その中で、自分の価値とは何か、考えては考えて、考えすぎて辛くなって辞めていく人がいるのだと思う。

スタッフの中でも特にマネージャーは何らかの専門性を持つわけでは無くいわば「何でも屋」。仕事は多岐にわたるがその分何のためにいるのか分からなくなってしまうのだと思う。



身近な人が辞めていく中で、そして辞めていく人と話す中で、私も自分の価値とは何か改めて考えた。しかしやはり答えはイマイチ分からなくて、それでも辞めるという結論を下すことなくのほほんと続けて行っている私は考えが一人浅はかなのだろうか、と悩んだこともあった。



思えば、自分の価値とは何かを探る模索は入部当初から始まっていた。

一年生の頃を振り返ると「この部に認められなければ」「役に立たなければ」と、とにかく必死だった。様々な部員と心してコミュニケーションを取っていたし、頼まれた事は何でもやっていた。

当時の自分のSNSやこのfeelingsに投稿した内容を読み返しても、とにかく自己主張が激しい。笑

そんなに頑張ってますよアピールしなくてもと言いたくなるほど、痛々しい。苦笑

とはいえ、それも避けては通れぬ道で、そんな時代があったからこそ今の私がいるとも言える。自分の価値を見出そうとし続けてきた割には未だ答えが分からないのであるが



しかし、そうして積み重ねて来たア式での時間にこそ価値があるのではないか、つまり、自分の価値は自分で作り出すものなのではないか、とふと思った。

冒頭に登場した母には、選手でもないのに何故この部でやっているのか、という究極の質問を突き付けられたことがあった。その当時は、やはり私がこの部にいる価値が母にも私から伝わって来ないのだろうと感じ少し落ち込んだ。

一方、他の部員にとって必要な存在になるためには?をいくら一人で考えても分からなかった。

だからこそ、冒頭の話を聞いて、少なくとも、母と同期には私の「本気」が伝わっていたんだ、と自信になった。



夏場に汗水たらして自分がくんだ水を飲んで選手が生き返ったような顔をした時。

思い切って出した自分の意見に対して他のスタッフが「いいね!」と言ってくれた時。

自分が作った試合告知画像を見て選手が少し嬉しそうにした時。

試合に勝った時。



自分(がこの部にいること)の価値はある、と感じる瞬間ならいくらでもある。そして、そうした瞬間、多少なりとも心が揺さぶられる経験に私はもうやみつきになってしまった。今更やめられない。



自分の価値とは何?何故この部にいるのか?

そうした小難しい問いに答えられなくても、

自分の価値を感じる瞬間はたくさんある

全ての部員がそう思える部活にしていきたい。



3年 学生スタッフ 松本彩伽

2017年2月7日火曜日

父の口癖

父としょっちゅういろんなスポーツを観る。そんな父の口癖は
『こいつ所詮日本でしか通用しねぇからなぁ~』
である。
また言ってるよ、って思って毎度毎度スルーしてる。


でもよく考えたらスルーできないかもしれない。スケールは小さくなるけど、同じこと自分にも言えそう。ア式でなら通るパス、ア式でなら通用するドリブル、ア式でなら通用するディフェンス。練習でできたことが東京都一部や関東で通用するものかよく考えないとレベルアップなんてしないよなぁ。

もしかして父さん、その口癖俺へのメッセージ??

1年 中村紳太郎

2017年2月3日金曜日

とりあえずは頑張らない





人間を測るものさしのようなものがあったらそれはいくつあるだろうか。それによって人間の価値(価値と言ったら大げさかもしれないが)を測れるとしたら自分はどこに位置するだろうか。







高校時代、僕は率直に言ってアホだった。(今もまだアホかもしれない。)ものさしの数は僕の中では2つだった。「部活」と「勉強」。この2つを頑張っていれば、少なくとも高校時代においては充実した時間を過ごせていた。ような気になっていた。







入学して約一年が経とうとする。この一年で何を学んで、何を身につけただろうか。







大学に入って感じたことはものさしの数はn個。しかもそのnは限りなくに近いように感じる。自由だから何を選んでもいい。「リーダーシップ」、「言語能力」、「会社経営」、「責任感」。自分の周りにはいろんなものさしで認められている人がいる。じゃあ自分は何を選ぶのか。何が欲しいのか。欲張りだから全部欲しい。でも現実的にそれはできない。







そんなことをたまに考える。考える度に「とりあえず目の前のことを頑張ろう」って自分に言い聞かせて逃げてきた。目の前のことはとりあえず頑張った。じゃあ次は?いつまでも考えることから逃げてはいられない。先を見据えて考えないと大学生活なんて一瞬で終わってしまう。










サッカーのことを考える。昨日の試合のビデオを見る。出来は全然よくない。明日からとりあえずは頑張らない。明日から頑張ろう。







1 細井

2017年2月2日木曜日

有言不実行

東大生は頭がよい。
ことあるごとにこの言葉が嘘ではないと痛感させられる。それは端に勉強が出来るということではなく、よく物事を考えているし、論理的に物事を捉えられていると思う。
そして口がたつ。自分の考えていること、思っていることを表現するのが上手いと思う。
ア式部員も例外ではない。
ミーティングや何かを決める場での議論は白熱することも多々ある。それぞれよく考えているし、誰も発言しないという状況はほとんど生まれない。

ただ
自らの言葉を行動に移せているだろうか。
自らの言葉に責任を持てているだろうか。
壮大なビジョン、高い目標、揺るぎない自信。
それらを口にすることは決して悪いことではない。高い志を持たない者に成長はないと思う。加えて、口に出すことで周囲に影響を与えることが出来る。
悪いことではない。
悪いことではないのだけれど、その言葉に責任を負う覚悟はあるのか。責任のない言葉は空虚なものに成り下がってしまう。
勿体ない。本当に勿体ない。
これは自分への戒めでもある。
自らの志が低いとは思わないし、積極的に発信するようにしている
ただ、チームに十分な影響を与えることが出来ているとは思わない。
たぶん、言葉に、行動に力が足りないのだと思う。
しかし、それでは選手を辞めてまでア式に残った意味がない。部にいる以上は結果を残さなければ意味がないと思う。それも選手とは違って結果が分かりにくいスタッフだからこそ、チームに影響を与えることが出来なければいけないと思う。
では、どうすればよいか。
責任ある言動、覚悟。そのような言葉で片付けてはそれこそ空虚だ。何が正解なんてまだわからない。
ア式で過ごす時間も間もなく折り返しになる。自分なりの、自分にしか出来ないやり方で、きっと正解にたどり着く。

決して有言不実行にならないように。

2年STAFF  糸谷 歩