「さあ、今日は楽しめるのかな?」



「さあ、今日は楽しめるのかな?」

去年、公式戦前にしばしばカリブ大先輩とこのように確認し合ったものだ。彼はどう感じていたか知らないが、自分はその言葉を発すると不思議といいプレーができる気がした。

しかし同時に、少し困惑していた。自分は楽しむためにサッカーをやっていたのか。



4歳からサッカーを始めてずっと上を目指してやってきた。結果が出ると、周りからも常にステップアップすることを求められ、自分でもより素晴らしい成果を追求してきた。「将来」のために「今」を我慢し、努力を重ねてきたつもりだ。

そんな中、去年僕はプロを諦めた。苦痛な決断であったので、詳細は割愛したい。かつては、プロを目指さない人が本気でサッカーをやるなんて信じられなかった。しかし、実際にやってみるとプロを目指していた頃よりサッカーが楽しいではないか。

以前より創造的なプレーをしたり柔軟な戦術眼を持つことができるようになった。



なぜか?

自分のサッカーに注げる時間的・情熱的コミットメントは圧倒的に以前の方が大きかった。なぜ、コミットメントを減らした今の方がうまくいっていてサッカーが楽しいのか?悔しいし、情けなかった。でも自問せずにはいられなかった。そこで、最近一つの答えがわかった気がしたのでこの場で共有したい。

それは、「今を追求する」ことである。例の「楽しめるのかな?」というメンタリティである。



上を目指していた頃は、「この試合でいいプレーができなかったら…」、「明日の試合は重要だから、今日は...」などという具合に常に来るべき将来に準備することを考えていた。試合中も、「残りの時間でボールに絡めなければ」、「あと何分体力がもつか...」という雑念に支配されていたように思う。

サッカーを真剣にやっていた人なら少なからず共感ができる部分があるのではないか。



しかし、プロになることを諦め、楽しむことを目的にし始めたあとの自分の頭の中には、「今」しかない。試合がどういう状況で、今自分が何をしたらチームを救うことができ自分が楽しめるか。常にそんなことを考えている。更には、相手の心情にも想像を膨らませることができるようになった。相手の考えていることを想像して、相手が嫌がるプレーとはどういうものか。常にワクワクしている。もちろん、自分のプレーや技術がそのワクワクに追いつかないことばかりであるが、そんなことは関係ない。楽しいし、何より自分が以前よりチームに貢献できている感覚がある。また、今に集中しているから練習の質も高く上達していくイメージがある。



大学に入ってサッカーを本気で続ける理由は二つしかない。一つはプロを目指すため。そしてもう一つは好きだから。後者のケースがほとんである東大のサッカー部にとって、上のようなメンタリティが少しでも役に立つのではないか。そう思って、自分の経験を偉そうに書かせていただいた。



プロのスポーツ選手でさえ、「知らないうちに」記録を更新したり、偉業を成し遂げたりしていたという内容の発言をよくしている。今を楽しむ。楽しむことを追求する。自分の得意のプレーに注力して少しでもチーム貢献する。その先に上達があるのではないか。もちろん、ハードワークを厭うわけではない。ハードワークさえも楽しむ工夫が大事だと思う。

今季の目標であるリーグ昇格は何としてでも達成したい。でも、理想はそれぞれが今日の練習を楽しみ、上達し、いいプレーを続けていくうちに「知らないうちに」リーグ優勝が決まっている状態だと思う。



「さあ、今日は楽しめるのかな?」



4FW 多田憲介
今シーズンの個人的な目標は、怪我なく毎試合ワクワクしながらプレーし、自分のサッカー人生を締めくくること。

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